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松平 正朝(まつだいら まさとも)は、江戸時代前期から中期の旗本(寄合)。正朝系大河内松平家初代。石高は3500石。 == 生涯 == 相模甘縄藩主・松平正綱の五男として生まれ、上野総社藩主・秋元泰朝の養子となる。寛永18年(1641年)8月9日、初めて将軍家光に拝謁し、生後間もない竹千代(後の徳川家綱)の小姓となる。この後、離縁して実家大河内松平家に戻る。 慶安元年(1648年)7月11日、父の遺領のうち三河国幡豆郡内の新田3000石を分知される。在所には幡豆陣屋(別名:中村陣屋、欠陣屋)を築き、明治に至るまで正朝の子孫が支配した。慶安4年(1651年)8月16日、従五位下紀伊守に叙任される。寛文4年(1664年)12月28日に500石加増される。寛文10年(1670年)10月15日、病により職を辞して寄合となる。延宝6年(1678年)12月30日に嫡子成綱が死去したため、次男浅野正氏の長男為政を養子とする。天和2年(1682年)6月3日に死去。享年54。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平正朝 (大河内松平家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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